好きなものを好き勝手

熱しやすく温く続く趣味の考察とか

「親友だよね?」 ヒメアノ~ル観ました

書きたいなぁと思うことはあれやこれあったんだけど(マーダーも観に行ったんだよ)、いろんなものをすっとばしてまずはヒメアノ~ルを消化しなければ。

 

原作未読、予備知識は予告編と雑誌インタビュー程度。

パンフレットは後日買う予定(未読)。➡買いました。

あとは鑑賞後にツイッターで検索して、いくつか原作と比較してるブログやツイート等を拾い読み。

一個人の感想です。ネタばれもします。

 実は血がびしゃーって出たりホラーだったりという映画は苦手で、火星ひとりぼっち映画『オデッセイ』の冒頭で主人公が自分で縫合するシーンすら見れなかったんで、超ビビってました。

なんたって【怖い・グロい】【最後までガマン】みたいなレビューだらけ。

ぜんぜんわかんねーと思いながら、でもみんな一様に【と、とりあえず観てくれ!】状態だったから勇気だして観に行った。(ムビチケ買っちゃってたし)

真ん中あたりでタイトルが出てくる。そのあとはもう森田のターン。

精神に異常をきたしてしまうっぽい映画の中で、それだけが道しるべである。

 

観終わって、最初に思ったのが「あ、そういうことか」

グロいって臓物的な生臭さじゃなかった。一部目を逸らす部分もあったけど、体の一部が吹っ飛んだり、内臓どぅるんてするおぞましさではなかった。それよりグロテスクの本来の意味というか、うすら寒い気味の悪さを常に感じて、そういう種類のグロ。そして、殺害経緯も単純明快。経緯というか、もう森田と絡んだが最後みたいなところがあって、大きな音とか画面のスイッチングでびっくりさせる恐怖は無い。びっくり系フラッシュ(懐かしい)より全然心臓に優しいと思う。

森田に絡む→「あちゃ~」と思う私→案の定 がだいたいの流れ。ね、親切設計。

「ラストに涙」これは私の涙のスイッチがその人と違ったんだろう。というか、処理が追い付かなかったとも言える。涙の代わりに「ぅう~~わぁ~~~」という声が出た。作品は最後まで観ないといけないね。

 

原作比較や原作読者のツイートを見る限り、ストーリーのだいたいの流れは途中まで変わっていないらしい(どのへんまでかは分らない)。重要なのはコンセプトが違うということなのかなと。森田の人物像がそもそも違うんだろうなと。「めんどくさいから」殺すんだもの。求めているのは、殺人による快楽、ではなさそうだ。殺人鬼という言葉にすら首をかしげたくなるのが映画森田だと思う。冷徹な・加虐的な人物とは違うし、思い切りフィクションに傾いた最強感もない。毎回力いっぱい抑え込んで殴って包丁を突き刺してやっとこさ殺してるので。

この森田、言ってることが支離滅裂なのに、妙に社会性がある。普通にアパート契約して家賃払って、ケータイ(スマホ)の契約もしていて、カフェでコーヒー飲んだりパチンコしたり、お金が足りなければ素直にネカフェのコースを変更するし、なにより高校時代の同級生の実家の家電番号を知っている。その時の声色を想像する。「あ、突然すみません。岡田君の高校の時の同級生の○○と申します…」岡田の母親が違和感を覚えないくらい普通だっただろう。服装もちゃんとしているし、ちゃんと血塗れになったあとシャワー浴びてきれいになっているし、死体は始末して玄関もきれいに掃除してる。

森田は人間として『完全に』終わってるわけじゃない。と気づかされてしまう。

あまりにもラストシーンに向けての凶行の加速度がすごすぎるので、私は「森田は記憶喪失だったっけ」と思った。けれど、生まれてからのすべての過去を抱え込んであそこまで突っ走り狂った先に激突しにいっているのだと思ったら、ものすごく後味が悪い。SIRENの屍人が人間だったころの動作を繰り返している姿に、何とも言えない悲哀を感じるような。

 

 「あー焼肉食いたい」

映画内で唯一森田の心情が描かれる場面でのこのセリフがこびりついてめちゃくちゃ好き。過去の出来事とそれを振り払いたい自分の言葉と目の前の出来事への反応と本能的な欲求が混ざり合い、酷いノイズとなってスクリーンの森田と同様にイライラしてきて思わず「うるせえ!!」と叫びたくなるシーン。死ね、殺せ、死んじゃえ、、と塗り固められていく思考のなかに「焼肉食いたい」と純粋すぎる欲求が組み込まれているのが人間っぽくて最高だった。普段の人間の思考のとっちらかって雑然とした感じの俗っぽさ。たまたま撮れたという缶コーヒーを置き忘れる挙動も好き。

思い出したくない記憶を、それでも己の意思で消せないことへの苛立ちがリアルで嫌なシーンだった。

 

 クライマックスは遂にきたーー! という感じで緊張感MAX。この映画って特に、あいだにどんなことがあっても結末は「岡田の生存ED」が確定してるじゃないですか。そこの安心感はあったから、興味はどんな風にこの凄惨な話が閉じられるのか。そこに絞られていました。めちゃくちゃなことを繰り返してきた森田が、どのように消化されるのか。

「あの時のこと、恨んでるんだよね?」

「お前、居たっけ」

岡田君、いろいろ終了のお知らせ。

もう、考えれば考えるほどわからなくなる。森田は本当に忘れていたと思う? それとも嘘をついたと思う? それって今回のユカちゃんを狙うきっかけと関係あったっけ。だってストーカーしてたのは岡田と出会う前だったじゃないか…。このへんはもう一度見直さないと分からないかも。理解力が不足している。とりあえずわかったのは、岡田君が永遠に許されない罪を抱えて生きていくということ。便利なもので今回の事件さえ、長い彼の人生では忘れてしまうかもしれないけど…うんでも、さすがにトラウマでしょうなー。

このへんから映画オリジナルらしいですが、映画森田のラストには良かったと思う。なりふり構わぬ逃亡は、今思い返してもゾクゾクする。部屋での混乱を引きずったまま畳みかけられる映像にリアル考えるな感じろ状態。人を轢いた身で犬を避け、異常な無垢さで「おかだくん?」と問いかける森田。「借りてたゲーム返さなきゃ…。おかーさん、麦茶もってきてー」

警察に引きずり降ろされて、凄惨な状態のままにこにこ?へらへら?笑って、「岡田くん、またいつでも遊びに来てね」って、住宅街の暗闇から言われる岡田。どうしてこうなった。今話しているのは誰だ。というか結局彼は何がしたかったんだ。まさに呆然とした感覚のまま、回想へと流される。学生服のふたりがゲームをして、奥の庭には犬がいる。その柔らかな日差しを受けながら、「おかーさん、麦茶2つもってきてー!」目の潤いとキラキラした光の印象だけを残して映画は終わる。ラスト3分とはここだったのかと。先ほどみたばかりの夜中の結末との差がひどく悲しい。ぅう~~わぁ~~~です。

 

森田と似て非なる、でもやっぱ似てるヤバい人・安藤さん。実生活でよく居る(居そう)なちょうどいいヤバいレベルなので、コメディー担当と分かっていてもちょっと身構えながら見てしまう安藤さん。ユカちゃんのことを森田と同じくらいカフェで追っていたであろう安藤さん。ユカちゃんを守る! という信念のもと、端から見て明らかにヤバさがエスカレートしていき恐ろしさが増してしまう彼。森田とあいまみえた時の、鑑賞者全員による「あああ安藤さーーーん!!」というオワタ感たるや(笑)

で、なんだかんだ病院で安藤さんは言うんですわ。

「俺たち、親友だよね?」

って、岡田くんに。そして

「もちろんです」

って言わせちゃう。

安藤さん、行き場をなくしたチェーンソーを見るたびに、どんなことを思うんだろうなぁ。その気持ちの分かりそうな分からなさが安藤さんのズレなのかと思い、これまた胸糞悪いシーンでした。

 

ヒメアノ~ルの骨頂はその「分からない」気持ち悪さ。共感も理解もできない存在が、そこに居たということ。どう頑張っても無差別殺人犯なんて分からないものは分からない。それは仕方ないことだなと諦めがでてくるのと同時に、そんな理解できない存在になってしまう引き金はどこにでもあるということ。

まだ明るい夕方の家路を辿りながら、すれ違う顔が異様なくらい生々しく感じられた。どの顔もその人の何十年分の記憶の先頭にいる。なにを抱え、考えながら今すれ違うのだろう。そうやってモヤモヤしたままでいると、そんな意識の外側から良い映画観たなぁと感じられた。